2013年1月5日土曜日
マーケティング修行者の精神構造
去年、ローテーションに手を挙げて、半年あまりマーケティングの仕事をしてみて思ったことをつらつらと悪文調で。
なんだかんだまともなエンジニアリング企業のエンジニアは精神的に恵まれているなと。
個人スケジュール引いてみると、エンジニア視点からみると工数を入力してみるのを馬鹿らしくてやめたほど絶望的に時間が足りなくて、これで満足な結果が出るほうがおかしいというか、何が期待される結果なのかの定義も怪しい。プロジェクトマネジメント的な視点を持つ人が少ないから、何かに追い立てられてやっているけど、連携も場当たり的で、達成感に乏しい。
これではエンジニアに馬鹿にされて当たり前。
開発プロジェクトを経験していない人にとってはこの程度が普通なのかもしれないけど、人間もうちょっと精密に成果を出していけるもんなんだけどな。
ただし、新しいものを作るときはぜんぜん違う行動規範が必要で、この2つを同じ人が担当しているのがワーカーとしての不幸というか、ただでさえ足りない工数をカニバっているのが二兎を追っている感。
一昨年、開発とサポートと両方見ていたときに気が付いたこととして、担当ごとに拠って立つ仕事のやり方というものがあるということがある。開発は、基本スケジュールが絶対でその中でどれだけいいものを作るか、あるいはどれだけ早くやるかが満足ポイントだが、サポートはスケジュールという概念がない。全体的な工数の中でどれだけ弾力的に運用できるかというストリームコントロールが求められていて、満足ポイントはお客様とのやりとりの中にある。
※ちなみに、開発は運用に弾力性を持たせると必ず失敗する。もひとつ、下らないネタとして、会社に遅刻する人はスケジュールも遅刻することを発見した。人はそれほど器用にできてないようで、この2つを精神的に切り離せる人なんてめったにいない。なので、遅刻ぐせが直らない人には、PMをやらせてみるのも一興かと(笑)
で、マーケティングがどこを背にして戦うべきかという点がばらんばらんでわからない。マーケティングというくくりが間違っているという感が強い。本来は、既存製品を耕していくという役回りの人と、新しい製品を作っていくという役回りの人ははっきり分けるべきだなと感じている。
さらに言うと、製品・サービスの戦略を組み立てる人と、その戦術を行使していく人も別であるべき。
戦略とは、何が正義で何が悪かを決めること。なにが儲かって、なにが儲からないかは二の次で、どうやって儲けるのかは全く範疇でない。つまり、恐らくスタートアップにとって戦略は不要で、モノが見えてきたときに悪い枝を切り落としたりする役回り。例えば、某社にとってエンタープライズサーバーにおける仮想化に投資することは悪である。その理屈を延々作って決めたのは私。今まであれもこれもやっていなくて不満だったのが、全部やらなくていいことになってすっきりする。これが戦略の効用。何をやればいいのか。というのも定義はするが、今のところ若い小さな会社なのでそれほど重要じゃない気がする。
ところが、私に来る注文が現場のこと(宣伝資料作成とか、製品説明同行とか)ばかりで、このギャップが非常に悩ましい。なぜなら、「手を広げる」というのは戦略家が拠って立つ精神構造に合わない。
戦略か戦術かどちらかにしたいのが希望。
内実、勉強としてはどちらもいい経験だけれども、精神構造上引っ張り合いをしていて気勢も上がらないし、PMまでやった身としては結果もハンパな醜態をさらしている。というのが今の私の外見かなと思う。
今年は...どうしようね。やっぱりもっと切り落としたいなあ。戦略で不要とされたところを。じゃないと戦略を立てた私が潰れそうだ。
P.S.
それにしても、戦略って恐ろしいよね。短期戦略のほかに、10年ぐらいの長期のものも作ってあるんだが、明らかに10年後の見通しは私の手に負えないものになっているし、今のエンジニアの半分は要らなくなっているかもしれない。むしろ技術ニュートラルな人が細々と生き残るかもしれない。それでも、人は戦略やスケジュールに仕えるものであって、上司に仕えるものでないというのが、私の仕事論ではある。人生論はまた違うけどね。
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