2009年10月11日日曜日

古いデータ:さるさる日記を廃止してこっちにimportしておく

■2004/12/29 (水) 来るべき年

(なんか、このページのカウンターがにわかに多くなっているのだが、何故だろう?)

来年は私にとってどんな年になるのだろうか?
つらづらと考えてみる。

●趣味について

今やっているLinuxは細々と続けるとして、モバイル端末(とゆーか、携帯電話)が今のところ殆ど使っていないのを少し研究したいなーと思う。濃い知り合いの多くは動画をエンコードしたりポータブルプレーヤーで持ち歩いたりすることに興味があるようだが、私はそれらに全然タッチしてこなかった。どこでもいつでも動画という目的が見当たらないためだ。(動画は大いなるレジャー・リラクゼーションではあるものの、私は本を必ず持ち歩いており、いつでもどこでも本を読んでいるので。)成り行きにもよっては、動画の持ち歩きをしてみるかもしれないが、とりあえずモバイル端末の可能性の研究という範囲で括ったほうが面白そうだ。
あと、目を使う仕事をしているのに目を使う趣味が多すぎるのも問題だ。体の他の部位を使う趣味は無いものであろうか。

●仕事について

岐路である。
実際のところ、今の会社で面白いことをやるのはかなり難しいと思う。何かといえばお金がない、という言葉が出てくるのはもういい加減疲れてしまった。もう一方の会社では、財政上の問題点は見当たらない。しかしながら、大所帯であり面白いことができるわけではない。その確率は決して高くないと思う。ただし、現状技術者としての能力を磨くことについて非常な不満があって、それらが満たされるのであれば、多少のデメリットも致し方ないのではないかと考え始めている。ノーネクタイ主義を取り下げてもでも、技術者としての自己目標に対する遅れを取り戻さなければならない気がする。

●新婚生活について

彼女は来年度からなんと就職&単身赴任してしまうので、しばらくは単独行動が多くなる。彼女にとってどのような体験になるのであろうか。一つだけ気にかかる点があるとすれば、悲しい気持ちになったときに、地理的条件が似ている、前の彼氏を思い出さないだろうかというか(笑) 彼女は当時叱る側だったのだけど、今度は頼る側になるわけで。過去の出来事の韻を踏んでいるような事象なので、妙に突っ張ったりしないか心配です。で、そういう切り離された自分はどうなのかというと、僕は過去一人だったので、多少ブルー入っても彼女ほどじゃないと思うのだ。

まぁ、とりあえずこんな感じ。

■2004/12/21 (火) 隠しておいたほうがよいもの

先ほど、社内全員に届くメールアドレスで私と妻の写った写真が流れてきて、その直後、同僚が言うには
「プレゼントのお金は社員みんなで出し合ったので、御礼をしとけ」
というのであるが、、、

どうも釈然としないのである。

私は今回会社の人には公式には結婚について何も言っていないのであるが、やたら煽られたり、プレゼントを受け取ったりしている。

公式にはなにも言っていないのであるから、何もしてくれないのが一番正しいと思うのだが。

私は全く怒らないといってよい性格であるが、憎むものに対して激しい反発したり、何十年経っても怒りが収まらないことがある。
今までにそれらに当てはまることは2つあって、一つは小学校4年のときに無実の罪で晒し上げした先生、もう一つは徹底的に叩きのめすことを止められない今の社長である。怒ることと叩きのめすことは別だということを認識できない奴は少なくとも尊敬の対象にはならない。畏敬と畏怖の別とも言えようか。
うちの社長は自分を織田信長に喩えているようであるが、歴史の語るところ、明智光秀だけでなく、羽柴秀吉にも精神的には裏切られているということを忘れてはなるまい。徳川家康陰謀説もあるぐらいである。
#同じガキ大将な性格ならむしろ劉邦を見習えと思うのであるが、無理だろうなぁ。

そんな奴に祭り上げられる身にもなってほしい。すごく不快である。

とりあえず今日メールを出すのは気が立っているので止めておこうと思う。
#明日まで遅れても文句を言い出す人はいないだろう。

とはいえ、結局のところ、そういう奴から完全に隠蔽できなかった自分が至らないというのが結論になろう。
一方、親友以外にほぼ完璧に隠蔽している妻の手法は見事なものである。慶事は黙す方が賢いということであろうか。

【追伸】
友人といえる同僚には教えたのだけど、そのほかに言うなと念押ししたにも関わらず勝手に拡がりまくりました。一度徹底しておいたほうが良いかも知れないと思いつつ。
私の親友はちゃんと節度があったのだけど、どうもこの会社の人は駄目っぽい。

■2004/12/20 (月) 子供の中等教育は友人によってされるもの?

最近高校生の教師が女子学生にセクハラするというような記事が見かけられているが、実際にはその逆も多いらしい。つまり、ちょっとでも精神的な苦痛を与えるようなことをすると、教育委員会にセクハラされたと訴えると平気で脅す女子学生がいるようなのである。

子供の(中等)教育に必要なのはよい友達だという思いをいっそう強くするのであった。うーむ。

だがしかし、加えて言うに、「そういう子供の親はやはり駄目」なのだそうだが。

私は東京の下町育ちなので、そういう荒れはある程度知っている。親が私に中学受験させたのも、「お受験」などという言葉ができる前の話で、要するに行く予定であった中学が酷く荒れだして手が付けられないようになったからなのである。教育パパ・ママであったわけではないと思う。
多くの進学校が東京北東地域の教育程度が低い地域から通える範囲に集中しているのはそういう理由が大きい。(御三家筆頭の開成とかもそうですね。)

宮城県においては、仙台市内の公立校は結構真っ当だそうだが、最初に出た話は宮城県内の某高校の話である。

こういう話を聞いていると、学習内容以前の問題があると思うのだがどうだろうか。

■2004/12/17 (金) 閉式の辞

食事会は二箇所でやるのだけど、
用意した原稿はこんな感じです。

一回目(11日)は新郎(僕)の親戚中心、二回目(18日)は新婦の親戚中心でした。
実際には、第二回の閉式の辞は新婦が喋る予定なので、この内容は二次会で喋る予定です。

皆様

本日は私たちの記念すべき節目を共に祝していただき、有難うございました。

==[[第一回]]=================
私どもは私が29になった12月6日に婚姻届を出しましたが、「三十にして立つ」という言葉もございます。虚名を憎み、真の名誉に値する、努力を必要とする時期に、先達の言葉を拝聴でき、大変ありがたく感じています。

また、この食事会の開催に協力いただきました友人のXX君、XX君、そして弟のXXには、大いなる感謝を表したいと思います。お返しができる時が来ましたら、喜んで協力させていただきます。
==[[第一回]]=================
==[[第二回]]=================
私はXXという、ちょっとだけ世の中を住みやすくするための運動に対するささやかな貢献を職として続けるために、XXからXXに移住したのが2000年の8月の事でした。それから4年余りになります。

この間、私なりに必要と思われる活動をひたすら実行してきたつもりでしたが、正直申しまして、2000年当時に想定した最も悪いパターンに陥っていたのかもしれません。
そんな時に、私を良く理解して話し相手になってくれたのがXXさんでした。

よく、長男と長女は性格的にかみ合いにくいと言いますが、私どもの場合、お互いに譲れないところがあるということを理解し、逆にそれを尊重するべきであるという意見の一致を見たことがよかったのだと思います。

XXに関する私の迷走はまだ続いていますが、XXさんとの結婚は、才徳に優れない私が後に悔いのない生き様を伝えるために、どうしても必要だったのだと思います。
==[[第二回]]=================

最後に、一年が皆様によって幸多きものになることを祈願いたしまして、閉会の言葉とさせていただきます。本日は有難うございました。

■2004/12/10 (金) 明日は記念祝典

うーむ、閉式の辞を考えてない。考えないと。何がいいかなぁ...

皆様
本日は私たちの記念すべき節目を共に祝していただき、有難うございました。

まではよいとして、その後が思いつかん。うへ。

■2004/12/09 (木) 邪魔なもの

■相手への思いやりがために、自分の志を忘れるな

 最近、他人を思いやる、という回路が働くようになったのだが、これが実に厄介だと感じている。一番厄介なのが、何が正しいのかよく分からなくなるのだ。

 思いやる、ということは、相手に感情移入する面がある。と、相手にとって都合のいいこと悪いことを考えてしまう。すると、自分が今まで考えてきた正しいこと正しくないこと、というのをすっかり忘れてしまう可能性がある。凡人の僕ならなおさらである。
 TPOに応じて(人格を使い分けろ)なんてことを要求する奴がいるが、そんなことを考え出したら、もう、人の何がうらやましかったのか、人生で何を達成したかったのか、なんていうことを忘れてしまう。そういう奴に限って、人生の目標は金を稼ぐことだったりするのだ。こういう奴は自分がどんな人間として過ごそうが関係ないのだから、もしあなたが彼等の部下で、良い社員になろうとこのようなことを心がけようと思っているなら、即刻やめるべきだ。いいように使われて、結局自分がやりたかったことが少しもできないことになるかもしれない。

......などと最近考えているので、ここに書き留め置く。

■お金を使わないことが幸せになるとき

 彼女の行動を見ていて、強く心に残るものがある。お金を使わないで過ごすことは、基本的に美しい行為だと思う。最近欲より美しさを気にするようになった。あれが欲しい、これが欲しい、というより、あれこれ欲しいと思わないで済んでいるということに清冽なものを感じる。我慢してそうするというわけではない。我慢はしない。なんというか、必需品といわれるものの幾つかは、だまされただけな気がしてきたのだ。時代に付き合わされたのかもしれない。いたずらに命を削っている気がする。
 僕は昔から「欲は膨らむだけ膨らむものだから、可能な限り引き伸ばして人生の後半に持っていったほうが良い」と思ってきた。今結婚していわゆる幸せな生活を送るにあたり、物欲に関してはますます減退した気がする。
 僕の知り合いには結婚した人もいるのに、この考えに同調する人はなぜか一人もいない。そんな考えだと苦労する、と言う人もいる。まぁ、そうなのかもしれないが、そういう考えで過ごせている今はある意味幸福なのだろう。買いたいものよりやりたいことが先に頭にないと、人間一生幸せになれないのではなかろうか。

■2004/12/08 (水) 石油ファンヒーター

今日は石油ファンヒーターを買いに行くのだ。

石油は最近高いんだけど、電気のヒーターは効きが悪いし、家が20Aなのを30Aに上げないとエアコン2台あるのに同時に動かせないし、さらに1台作動中になにか使うとすぐ落ちるし、居間のエアコンは暖かくならないし、夏はエアコンは殆ど要らないほど風がびゅうびゅう吹いているし(だから冬寒いんだけど) で、30Aにあげるのもったいないし、

というわけで、石油ファンヒーターがお得かなと思うのだ。

今日買うと10日に到着するかな。うむ。

■2004/12/07 (火) ねこ暖房

ねこ暖房についてのリンクをみーちゃんから貰いました。
http://www.kinyobi.co.jp/uramadoEntries/neko/15
みんなでねこ暖房。ごろごろ。

■2004/12/07 (火) 大型ねこ暖房免許取得

昨日、婚姻届を出し終えた。
相手は大ねこのみーちゃんである。

東北の冬は寒いので、暖房は必須なのだが、みーちゃんと結婚したので、大型ねこ暖房が使えるのである。今年はねこ暖房で過ごすことができそう。
まだ結婚記念イベントが続いていて大変なんだけどね。

■2004/12/07 (火) 伯亮春秋記 オープン

伯亮春秋記 がオープンしました

■2002/08/29 (木) [07] まじめに更新しな

うわわわ、空きましたけど、続きです。

釜臥山の辺り一体は当然無人地帯である。従って人が住んでいるところ
なら99%以上カバーしていることが自慢のドコモの携帯も「圏外」である。
予定より遅れていたのでホテルに電話しようとしていたのだが無理だった
ので、予定にあった給油を明日に延期してホテルに急ぐ。

チェックインして直ぐに夕食。どーでもいいけど、青森の茶碗蒸しは栗が
入っていて、甘い。慣れるまではちょっと気持悪い。昨晩に続いて今日も
この茶碗蒸しがでる。特徴があるので出しているのだろうが、好き嫌いが
すごくでそうだ。

最終日はお昼までに青森に取って返さないといけない。
時間を見計らったところ、どうも八甲田を経由するのは無理そうだった
ので、野辺地から少し南下、むつ横断道路を経由して直接青森市内に出る
ことにする。
途中むつ横断道路沿いでは、東北新幹線八甲田トンネルの調査工事をやって
いた。そういえば横断道路に入る直前には南部縦貫鉄道の踏切跡があった。

なくなったもの、これからつくられるもの、両方が在る。

青森市内で時間が余ったので、全国的に有名な、三内丸山遺跡を見に行く。
取り敢えず、暑〜い。広い屋外空間、わざわざクーラーが設置してある展示もある。
友人曰く、「食堂はマズい」とのことなので、さっさと去る。

というわけで、帰りはスーパーはつかりで帰ってきました。

教訓:更新は、忘れた頃にやって来るかもしれない。
■2001/07/25 (水) [06] まじめにかわいーな

十三湖からやまなみの道を通り津軽半島を横断する。途中で海峡線に
出会う。新幹線を通すことを考えて作ってあるだけに、殆んど
新幹線と同じように見えるが在来線である。ただし、海峡線と青森を
繋ぐ津軽線のほうが単線なのが不釣り合いだが、将来は海峡線と津軽
線の接合部まで新幹線を新青森から伸ばすので津軽線の方に手をつけて
いないものと思われる。
なお、前日に新幹線の高架橋が盛岡から八戸まで繋がったという
ニュースを青森では報道していた。八戸以降の新青森までの区間は
まだなにも手をつけていないように見えるが、実際には八甲田を貫通
する八甲田トンネルには着手しているそうである。(これもテレビで
やっていた。)

青森市街で昼食をとり、さっさと下北半島に移動する。レンタカーに
ついていたカーナビはマニュアルもなく使用できないようになって
いたが、とりあえずあれこれ調べて動くようにしてしまった(笑)ので、
使ってみる。まぁ、リモコンがないので、単なる位置表示器にしか
ならないがずいぶん楽になった。

下北への道は野辺地から一本。途中右左とカーブはないのだが、上下に
うねりがある。六ヶ所村は工業地帯らしく、小川原地区はダンプが沢山
走っている。陸奥横浜を過ぎるとたいぶ静かになった。

むつ市街に入る。つい最近廃止になった下北交通の路線がまだ
カーナビには残っている。途中配線跡を通るが、まだそのまま使用
できそうな程であった。つまり、横切った盛土区間を見た限りでは、
完全に放置されていた。

まだチェックインには余裕があるので、恐山に登る。思ったよりも市街
から距離があった。硫黄の臭いが鼻腔を刺激する。恐山信仰があるわけ
ではないが、日本三大霊場は伊達ではない。回りは青々とした釜臥山と
その連山、その中に地獄がポッカリ顔を出している。

ちなみに買ったおみやげは「恐山」湯飲み。
うーん、僕の「きゅーと」という基準は壊れているような気がしない
でもない。

このあと釜臥山の展望台に向かうが既にかなり遅い時間で上の展望台は
閉っていた。立ち入り禁止の防衛庁専用道路がとなりの頂の観測所に
繋っている。ここが要衝だということが一目でわかる。

[...すんません、更に続きます。]
■2001/07/16 (月) [05] まじめには不思議な

週末は休暇を1日とって青森に友だちと旅行に行ってきました。
そのため、日記をお休みしました。

一日目 (7/13)

仙台から新幹線。盛岡からはつかりに乗る。485 系 3000 番台は
とても 485 系とは思えない装い。12月に予定されている八戸までの
新幹線延長の折には いなほ などノーマル 485 が残る地域への
転用になると思われる。ただーし、盛岡から青森は遠い。だれ〜る。

仙台から青森へ来たらかなり涼しいのに、ラジオでは今日は暑いっ
すー、と言っていた。同じ人間なのにこうも感覚が違うとは (^^;
ともあれレンタカーを借りる。最初っからいきなり白神山地へ突入
するが、途中通行止めで敢えなく引き返す。そのかわり岩木山を
回って最初の宿泊地、鯵ヶ沢へ。岩木山に入ったと途端どしゃ降り。
岩木山は大いなる壁らしい。

津軽ネイティブの某7氏は、あじがさわに温泉があること自体知ら
なかったらしいが、ともかく立派に温泉は存在する。ただーし、
料理は多すぎて温泉はしょっぱい。うにとかにといとうが
食べられるのは良いのかもしれないけど、全部食べたら撃沈しそうに
なったっす。

二日目 (7/14)

今日の目的は十三湖。そのまえに、昨日行けなかった十二湖の代わり、
というわけではないが、くろなんちゃらの滝というのを見に南下して、
それから北上することに。十三湖の回りには遺跡やら城閣やらが沢山
ある。三日目に三内円山遺跡へよることになるが、このように昔の
遺跡が多いと、まだまだ歴史に残らない謎が日本にはかなりあるように
思う。

[...後半へ続く]
■2001/07/11 (水) [04] まじめにいきたいな

今日はまじめにいかないですー。

仙台にいると、東京のセミナーとかでられなくて困ることがあるけど、
仙台で東京並の Linux のイベントが 27 日にあるみたい。

http://www.oadg.or.jp/news/news2/notice/semi27.htm
とまあ、結構いろいろな人が来るわりには無料とあって、私の
友人知人は粛々と会社お休みの準備をしています (笑)。

ところがだ、肝心の僕が厳しい。
室長に許可をとってから気が付いたのだけど、当日は大事なイベントが
会社であるのだ。せっかくなので、なんとかやりくりして出たいところ。

閑話休題。

最近思うこと。「ミスをせずに仕事をすることは難しい。」

元々僕は一日に必ず一つ以上はミスをする人間である。その発生の
仕方は、プロ意識とかそういったものを超えているように思う。
運に近い。それを自覚しているため、今日のミスは明日直せる職業に
つかなければ食っていけないと開発という職業に進んだように思う。
ところが、今の職場でも取り返しのつかないミスをすることがよくある。
それも、僕がするならまだわかるのだが、他人のミスをどう扱ったら
よいのか困っている。どーも、似たような人が多いらしく(笑) 他人が
見たら、信じられないふざけたミスをみんな平気で起こしてしまうの
である。お客さんに怒られるのはほぼ100%、そういったミスを突いた
ものである。これを減らしていくのは、平時の不断の努力による業務の
マニュアル化が必要であることは言うまでもないのだが、それが苦手な
人間が多くまた忙しいのでなかなかミスを減らすことに時間がとれない。
僕はといえば、マニュアル化してもその意図がわからずストレスが
溜るのだけは避けたい、そんな会社はだめだめ、と思っている筆頭
だったりして、相変わらず同じミスをしてはぐはー、としているような
気がする。そんな僕の持論は、業務の効率化は人間を規律することでは
なく、自動化によって空いた時間をチェックに使うなりして達成すべき
というものだが、システム構築は時間がとられるので危急にやらねばと
思いつつ...

ああ、もう。
ともかく、こつこつまじめにいくしかないのだろう。
■2001/07/10 (火) [03] まじめに仕事しような

あーあー、本日は、、、仙台は曇りっす。

最近は開発が一段落ついているので、追い付かないでいた諸々の
ことを済ませようと躍起になっています。で、やっぱり忙しいです。

うみゅー、2ch の風にのせられて、K の掲示板始めて見た。
うわー、代表がお客さんどついてるー (-.-;
喧嘩してるー。そーか、やっぱり僕の環境がおかしいわけじゃなくて
発売直後に www.k<ぴー> は 3 日も落ちていたんかー、いや困ったね。

...。
......。
いいのかなー、大丈夫かな大阪。
# うむ、無職になったときに大阪に履歴書おくらんでよかった...

うちも逆切れするお客さんいるけど、とりあえず「お客様」
として対応すればよいのだから気は楽だよね。

今回の開発であまりにも命削ったので開発をオープンにすることも
考えたけど、オープンにしてもこーんな変なやつがいるならもう
ちょっと考えようと思い直した掲示板でした...。

ちょっと疲れているかな、というとき、
挫けそうになる度に、俺が東京を離れたわけを考える。

それが、喧嘩や諍いに程遠いところにある僕が、
最も厳しく現実を見て、魂を奮い起たせる瞬間。
この気持がある限り、僕は自分に負けるつもりはない。

んだけど、結構病気になって撃沈したりするんだよねー。だー。
■2001/07/09 (月) [02] まじめにセンチな

RK は某Linuxディストリビューターに勤務しているのですが、
(公然の秘密というやつです) 今日は今度発売になる某Linux
ディストリビューションのパッケージが届きました。
開口一番、

「がはははは」

うーむ、受け狙いすぎ。某ウイルス×ターみたい。

...普通になったね。Linuxのパッケージも。
RK は PowerMac で Linux が動くようになるのとほぼ同時に
Linux 始めましたが、それと比べるとえらい遠いところまで
来たように思います...

ちょっと撃沈されちゃった気分です .(^^). (どーゆー気分じゃい)
■2001/07/08 (日) [01] まじめによみな

あーあー、てすてすてす。

...。
......。
というわけで、斜め前のわたーから紹介された日記専門サイトに移転して
みました。

以前のページからリンクを辿って来た方ならご存じかと思いますが、僕の
本職と趣味は Linux ということになっています。一度思い込むと平気で
何年も突っ走ってますんで、当面は Linux な生活です。このページでも
あやしー裏情報(?) はないですが、関係者の了解をとった上での裏情報は
出すかもしれません。
...といったことは殆んどなく(おいおい)、健全で独善的な衝動の迸りを
お伝えしたいと思います。

で、なんでこのページに移転したのかといいますと、
新しく某所で発掘したウェブページ更新支援プログラム使い、
ローカルにつくったディレクトリにページをすべて持ってこようと
して走らせたら、
「ページ消えた」
からです。で、室長より一言、
「マニュアルに書いてあると思いますよー。」

どうやらそれはそのプログラムの
「デフォ」
の動作だったらしい。

よくよく考えると、新しくつくったこちらのディレクトリの方が、
今あるページの入っているディレクトリよりも新しいので、そう処理
するのは正しいようでもあったり。

「うがー。」

...。
......。
というわけで、
「マニュアルは まじめに読もう ほととぎす。」
を今回の教訓としたいと思います。撃沈。

■2001/07/08 (日) まじめにほげほげな日記 オープン

まじめにほげほげな日記 がオープンしました

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